【ブラジル🇧🇷活動記】vol.4 ~サンパウロでの1日編~
Boa noite!
今ブラジルは夜の11時です。
サンパウロでの研修が終わり、
ついに明日、任地に派遣されます。
教員の現職参加は1年9ヶ月の派遣のため、
そうではない2年間派遣の隊員とは報告会も帰国日も異なります。
2019-1次隊ブラジル22人全員が集まることはもうありません。
4月の技術補完研修から、70日の駒ヶ根訓練所での共同生活、
そして、このサンパウロでの18日、
共に過ごした仲間たちと離れる寂しさがこみ上げてきますが、
ここからが本当のスタートです。
要請を見つけた時の、
なんて楽しそうなんだ!というワクワクした気持ちを思い出すと、
仕事を辞めたことも、ブラジルに来たことも、
人生何があるかわかりません。
これを間違いだったとは思いたくありません。
これからの2年間、
今しかできないことを、
自分にできることを精一杯やってきます。
ブラジル🇧🇷活動記 vol.4【サンパウロでの1日】です。
先に述べたように、
サンパウロでの研修は今日で終わってしまいましたが、
サンパウロではどんな1日を過ごしていたのか、
その流れを画像にしてみました。
①眠れない2時間
最近はかなり落ち着いて来ましたが、
初めのうちは時差ボケで朝4時に目が覚めていました。
寝ようと思っても眠れません。
ですが、私たちはホテルの2人部屋で生活しているため、
同室の隊員が寝ているのに電気をつけて何かをするなどはできません。
②朝ごはん
ホテルで写真のようなパン、ケーキ、ハム、チーズ、フルーツ、ヨーグルトを
食べていました。
あと、バナナ。
③移動
ホテルからJICA事務所まで歩いて15分ほど。
途中スーパーに寄って水やお昼ご飯を買います。
慣れると、どのスーパーの方が安いとか、どの水が安いとか。
④着後オリエンテーション
サンパウロについてから、銀行口座の開設や、
活動に関しての必要書類、
リベルダージ(東洋人街)・移民資料館の見学などを行いました。
リベルダーヂの周辺地域はホームレスが多く、
スリも多いので危険地域とされています。
オリエンテーションでは車で案内してもらい、
車の中から様子を見ていました。
各自でリベルダージに行くにも、
必ず地下鉄でリベルダージに入るようにと指導されており、
私たちが歩きやバスで行くことは許可されていません。
⑤昼休憩
日本にはあまりない、ポルキロというお店に行くことが多かったです。
惣菜の量り売りというイメージで、
並んでお皿に食べたいものをとって、
重さに応じて値段が決まります。
その時の気分に応じて食べれるので私は好きでした。
よく行く店は100gで4,29RS。
なぜかJICAの人は割引にしてくれる。
私はいつも12RS=360円くらいで少ない方でした。
そのうち、ポルキロを持ち帰りにしたり、
朝ご飯を包んで持って来て事務所で食べる人が多くなりました。
⑥ポルトガル語の授業
最初の1週間はポルトガル語の授業がありました。
駒ヶ根訓練所では文法中心でしたが、
サンパウロではシチュエーションごとに、
趣味や旅行、交通系、買い物といった、
生活して行く中で使いそうなものを勉強します。
おそらく、日本語を普段は教えている先生たちが、
私たちにポルトガル語を教えています。
私たちが行った日本語を理解していますが、
先生はほぼポルトガル語しか使いません。
⑦自由時間・夜ご飯
私の場合は語学後すぐホテルに帰っていました。
ブラジルは危ないという安全講習を受けるので
外を出歩くのも怖いなーと
ホテルにこもっていることが多かったです。
人によっては、ネイルや買い物、無料の美術館などに出かけることもあります。
夜ご飯は、昼にポルキロで夜ぶんも買って行ったり、
近くのお店でみんなで食べたり。
⑧睡眠
ホテルに帰ると眠くて眠くて仕方なかったです。
時差ボケ?
慣れない生活の疲れ?
眠くなったら一旦寝たい自分なので、
早い時は19時にはねてしまったり…
眠すぎてシャワーも浴びず、顔も洗わず寝てしまうこともありました。
決められたスケジュール以外、本当に何もしない生活。
こうやって書き出してみると本当に、
堕落した生活(笑)
でも、もう、眠くて眠くて…
最近は慣れて来たので、
これから切り替えて、有意義な生活を目指します。
更新している途中で、寝てしまい、
朝になりました。
今、朝4時半です。
30分後には出発。
急がねば…