【YOSAKOIで世界を繋げ】~元ADの協力隊🇧🇷活動BLOG~

2019.7.22~日系社会青年海外協力隊2019-1次隊としてブラジルに来ました! テレビ番組元AD/青年海外協力隊/日系社会青年ボランティア/ブラジル/旅/ヒッチハイク/YOSAKOIソーラン

よさこい写真《ふるさと祭り2019.1.14》なるたか

2019年1月14日(月)

@東京ドーム クリスタルアベニュー

 

ふるさと祭り、パレード演舞です。

ご自由にお持ちください!

 

※掲載不可などございましたら、

お手数ですがツイッター(@5x39)まで

ご連絡いただけますと幸いです。

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なるたか

 

 

 

よさこい写真《ふるさと祭り2019.1.13》

2019年1月13日(日)

@東京ドーム クリスタルアベニュー

 

ふるさと祭り、パレード演舞です。

ご自由にお持ちください!

 

※掲載不可などございましたら、

お手数ですがツイッター(@5x39)まで

ご連絡いただけますと幸いです。

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燦-SUN-

 

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REDA舞神楽

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ぞっこん町田'98

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ほにや

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國士舞双

 

 

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妃龍

 

日系社会青年ボランティア(青年海外協力隊)の応募・選考について&てか、ボランティアって何なの?って話

 

青年海外協力隊、日系社会青年海外協力隊

2018年度秋募集の募集情報の公開が始まりました。

 

日系社会青年ボランティア

 日系社会海外青年協力隊

と名前が変わっていたり、

日系の訓練が横浜から駒ヶ根になってたり、

色々と変わってきているので、

選考も今後何かしら変わったりするのでしょうか

 

私が受けた2018年度春募集

応募・選考についてです。

秋募集を受ける方にとっては

これが最新の情報のはず!

 

後半は、

応募する際にも考えてたけど、

「てか、ボランティアって何なの?」

という話。

 

とりあえず2018年度春募集について、

せっかくなので参考になれば!

 

 

<< スケジュール >>

 

5月1日(火) 一次選考書類締切(正午)

        (WEB応募)

6月6日(水) 一次選考結果発表

        健康診断受診・提出

7月4日(水) 二次選考 

        (東京にて面接)

    ※日程前後あり全5日間中指定の1日だったかな   

        再検査指示・提出

8月17日(金) 二次選考結果発表

 

2018年度秋募集のスケジュールについては

このURLに書いてあります

https://www.jica.go.jp/volunteer/application/seinen/process/index.html

 

<< 一次選考(書類)>> 

箇条書きで失礼します!

WEB上で入力して送信する

・時間の制限があるため、入力してはこまめに保存の必要あり

・提出(送信)しなければ、何度でも書き直しができる

・結構がっつりなので早めに取り組んだ方が良い

 

 書類内容

 ・志望理由

 ・ボランティアについての自分の考え

 ・派遣先で何がしたいか

 ・帰国後のキャリア       など

 

 

<< 二次選考(面接)>> 

箇条書きで失礼します!

 

人物面接:ボランティアとして向いているかどうか?

技術面接:その要請にあっているかどうか?

 私の場合、YOSAKOIソーランという

  かなり特殊な要請であることもあり、

  正直よくわからなかったです。

  聞かれることはほぼ同じでしたが、

  技術面接の面接官の方が現場のことを理解しているので、

  派遣先でどんなことができるかなど

  具体的な話をしました。

  

・口座登録など、提出書類あり

・面接は基本的に面接官2人(テーブルあり)、

        受験生1人(椅子だけ)

      こんなの→f:id:krymk039:20180910234629j:plain

圧迫面接ではない

 (たくさんブースや部屋があるので

  他の部屋がどうかはわからない)

・面接官は一次選考の応募書類が手元にある

・私は、朝一番(面接スタートの時間)に技術面接

 午後から(14時くらいだったかな?)人物面接

・現職参加についての相談ブースあり

 (過去にその会社から現職参加した人がいるのかどうか

  調べてくれる)

・派遣先でバイクの免許を取る必要があるかの相談ブースあり

・午前中に参加の意思?現職なのか退職なのかなどの

 意思確認的なブースには必ず行かなければならない

・お昼は事前に買ってくる

・外出は基本不可

・おしゃべり自由(待ち時間が長いので本を持って行くも良し)

・携帯使用自由

 

 

 面接内容

 面接はあまり得意ではないので、一問一答というのではなく、

 私は会話に持って行こう持って行こうとしていました。

 そのため、こう聞かれてこう答えたという感じではないです。

 内容も特殊なので、あくまで私の場合です。

 

 ①技術面接内容(面接官:女性2名)

 (技術面接は特に、おしゃべりしてきたという感じで

  とりあえずどんな話をしてきたか覚えている範囲で

 ・ADが不規則だという話

 ・ADの仕事をこんなことに活かせそうだという話

 ・YOSAKOI以外の活動もしなければいけなくなると思うという話

 ・日系は古い日本の文化だから厳しいという話

 ・日本文化を伝えに行くというより、

  学びに行くというスタンスの方が良いのかもという話

 ・日系の方々は頭がいいし、すごい人たちだから、

  海苔巻き一つ作るにもきっちりしているという話

 

 

 ②人物面接内容(男性1名、女性1名)

 ・志望理由

 ・高知のよさこいYOSAKOIソーランの違い

 

 全然、覚えていない

 時間が経ったからということではなくて、

 面接終わりに既に思い出せなかった

 

 

<< 再検査 >>

大問題の、再検査です。

二次面接が終わった後、

メールで再検査指示が届きました。

 

基準に収まっているのか自分でも確認していたので、

自分の数値が怪しいということは

私も重々承知しておりました。

 

JICAボランティアのページでも

基準値についてのリンクがあります

https://www.jica.go.jp/volunteer/application/seinen/physicalcheck/pdf/kenkou_referencelist.pdf

 

ですが、

面接のときに何も言われなかったしな

なんて思っていたら、

メールで再検査指示です。

しかも、

7月7日(土)の夜にメールが来て

7月12日必着で診断書と検査結果を

送らなければならないとのこと。

時代はLINE、気づかなかったらアウトでした。

(仕事の関係もあり、

 必着の日までに送るのは不可能だったので

 間に合わない旨を連絡しました)

 

しかし、仕事は泊まり込みでの編集期間、

超不規則、睡眠時間もままならない中、

血液検査を受けに行ったところで、

良い結果が出るのだろうかと。

 

ちなみに私が引っかかったのは『血小板』

15万~35万が基準という中で

健康診断の結果は49.8万。

いやいやいや….

 

知り合いのお医者さんが、

脱水ぎみだと数値が高く出ると教えてくれたので、

血液検査のその日は、とにかく水を飲みました。

 

結果、

私の血小板数値は43万まで下がりました。

でも、43万です。

 

おまけに診断書には『血小板増多症』

「半年に1回血液検査を受けてください」

と書かれていました。

 

終わった

 

ああ、落ちた時の言い訳ができた。

面接より、健康診断のハードルが高くなるなんで、

思ってもいませんでした。

 

ですが、

結論を言えば受かったわけです。

私は日系社会青年ボランティアだったからかもしれません。

青年海外協力隊で、

発展途上国への派遣を希望していたらどうだったのか。

 

JICAの顧問医さんが判断するものなので

基準を超えているものがどこまで許容範囲なのか、

なんとも言えませんが、

基準におさまっていないからと行って、

絶対に受からないわけではない!ということです。

数値に多少の不安がある方も、

諦めてはいけないですね!

 

ちなみに、献血をしましたが、

その時も血小板数値は43万、

ADという不規則な生活のせいで

数値が上がったのかと思っていたにもかかわらず、

過去(19歳と?歳)のときの血小板数値も38万と

基準にはおさまっておりませんでした。

もう、どうしたら良いのでしょうか

 

 

 

 

 

 

 

という感じで、

再検査について以外、

ざっっっっっっっくり書きましたが

あまり参考にはならなそうですね(笑)

 

先ほどのスケジュールを見ればわかる通り、

各選考、結果が出るのに1ヶ月以上かかります。

まだかまだかと、待ちどうしくなりますよ。

会社にもいつ結果出るの?まだ?と

 

まあそうでしょう。

2018年度春募集では、

一次選考に1,072人の応募者がいて、

二次選考は776人が受験をします。

この情報は、JICAボランティアのホームページ

『お知らせ』から『職種別選考状況』

というので見ることができます

 

自分の希望する職種に、

どれだけの人が応募をして、

どれだけの人が一次選考合格をして、

そのうちどれだけの人が二次選考を受験し、

最終的にどれだけの人が合格するのか。

 

一番倍率が高いのは『青少年教育』と言われています。

2018年度春募集では、

青少年教育は40の要請に、

一次選考で95の応募がありました。

最終的に合格したのは30人

(登録9人:補欠合格のようなもので

      辞退した場合などにくり上がりになったりする人)

単純に計算すると3.1倍です。

3人に一人しか受からなかったことになります。

 

ですが、

倍率の低い要請はたくさんあります。

 

私が受けた『文化』は

4つの要請に応募人数2人、合格者2人。

受けた2人とも合格しています。

そもそも4つの要請に2人しか応募していません。

 

どうしても青年海外協力隊に行きたければ、

この職種別選考状況を確認して、

なるべく倍率の低いところに応募するのも

一つのやり方でしょう。

 

とはいえ、

青年海外協力隊では専門的な知識や資格、

技術を要するものが多いです。

私みたいな一般ピーポーが応募できる職種は

限られているんですよね

 

ちなみに、

応募の際は第3希望まで記入することができます。

私も、一通り要請を見ましたが、

国のお金を使って海外に行く以上、

自分にはできることは何だろうと考えてしまい、

ただ行っても何もできなきゃ意味がないと

思っていました。

なので、私は第一希望しか書いていません。

 

面接でも、他の要請について聞かれましたが、

「他の要請も興味はありますが、

 国のお金で行く以上

 自分にできるのは何かということを第一に考えている」

ということと、

「地球の反対側にいるブラジルの方々と

 YOSAKOIソーランを踊るだなんて、

 なんて面白そうなんだと思い応募した」

ということをきちんと伝えました。

 

私の場合は

YOSAKOIソーランありきだったので、

なぜ他の団体や機関ではなく

青年海外協力隊だったのかと聞かれても、

「海外でYOSAKOIソーランを踊る」

という要請がたまたまJICAボランティアだっただけで、

それがたまたまブラジル・日系だっただけでした。

もちろん、金銭的に青年海外協力隊がどれだけ

チャレンジをしやすい環境かというのはありますが

 

なぜ日系なのかという理由や、

なぜブラジルなのかという理由は

本当に薄かったです。

 

面接で応募した理由を聞かれても、

「地球の反対側にいるブラジルの方々と

 YOSAKOIソーランを踊るだなんて、

 なんて面白そうなんだと思い応募しました!

 それが全てです!」

と答えました。

 

ですがその分、ボランティアという意味では

よかったのかもしれません。

 

自分が面白そうだからやりたい!

結果として、

それが派遣先の人の役に立てば

それでいいじゃない。

 

小学生・中学生の時もプチボラとか言って、

花植えとか雑草抜きとかゴミ拾いとかやってたけどさ、

地域の人のためにやらなきゃいけないことなんだ

と思っていたんですよね。

ボランティアって、

『社会貢献』とか『無償で良いことをすること』

だと思っていたわけです。

 

今回、応募するにあたって、

ボランティアって意識が全然なくて、

何書けば良いんだろうってすごい悩みました。

『ボランティアとは』ってGoogle先生に聞いてみたりして。

 

そしたら、

先輩隊員の方々が『win-winが大事』と言っていたり、

そもそも、ボランティアとは

「何かをやりたい!」と思うことを主体的に行う活動で、

『自分のできることをして自分自身を向上させるという考え方に

変化してきた』とか書いてあったのです。

 

私には、

国際協力がしたいとか、

世界中の人が笑顔になってほしいとか、

誰かのためにという意識は正直あまりなかったけど、

自分が面白そうだからやりたい!

結果としてそれが派遣先の人の役に立てば

それでいいじゃない!

って、これもボランティアってことじゃん???

 

私が、面接会場で出会った人たちも、

こんな研究がしたい、

こんな生物が好きで観察したい、

世界のためにっていうより、

自分が何をやりたいのかというのを

しっかり持っているなーという印象を受けました。

 

だから、

「ボランティアで海外行くの!?

 すごいね!!!!」

は違う。

(最近Twitter上で↑こんなこと言っていた方がいて

 めっちゃ共感した)

 

別に自分を犠牲にも、お金を犠牲にもしてないから。

ブラジルでYOSAKOIソーラン!?

なんてこった!!!!!

こんな面白そうなことあります????????

って感じに私は大興奮なんです。

(まあ、キャリアを犠牲にはしているかもしれないけどね)

 

日系社会には縁もゆかりもない私です。

JICA横浜にある海外移住資料館に足を運んでみたけど、

正直今の日系社会がわかるわけではありません。

行った時の自分を想像することも難しいと思いました。

 

なので、

ADとしてこれまでやってきたことが

日系社会青年ボランティアで活かせるかもしれない

とわかったのは、二次選考の技術面接の場でした。

 

今、日系4世、5世の方々の時代になってきて、

実際に日本からブラジルに渡った人は、

80歳、90歳とかなり高齢になっています。

日本語を話せる方もかなり高齢の方のみという風にも

聞きました。

移民としての当時の生活を語れる方が、

少なくなっているのです。

 

私もまだまだAD3年目、

PRの編集やクイズの問題作りくらいしかしていませんでしたが、

映像制作や画像編集というコンテンツを持っていることは

私にとって強みになりました。

 

日系では、日系の歴史や文化の伝え手を

求めているのではないか、

ただYOSAKOI経験があれば良い

というものではないのだと…..

そのためにも、

情報を発信する立場になれるよう、

今のうちからと思い、このブログを始めました。

 

幸い、派遣前訓練までもあと半年あります。

まだまだ時間はあるのです。

(お金はないけど)

 

時間がある時ってお金ないよね。

お金がある時は時間がない。

海外行きたかった

もっと日本を見たかった。

 

この半年をどう使うか、

私にとって大きな課題になりそうです。

 

 

 

教科としての『英語』しか知らない18歳の私が初めて『外国』に触れた時のお話

 

もう、8年前。

高校3年生の時でした。

 

大学受験で東京に来ていた私は、

サクラホテル幡ヶ谷

シングルルームに宿泊していました。

 

ここ 

travel.rakuten.co.jp

 

予約したときは

全く気にしていなかったのですが、

実はこのサクラホテル、

外国からのお客さんがとにかく多い

 

 

 

 

1階のカフェスペースで

古文の勉強をしていると、

 

「漢字ムズカシイデスカ?」

 

隣に座っていた外国人女性が

話しかけて来てくださったのです。

 

 

 

 

 

 

「英語で返さなきゃ」と戸惑う私に、

日本語で話しかけてくる女性。

 

よくよく聞けば、

当時の私の年齢より、

長く日本で暮らしているではないですか。

 

 

 

 

 

海外に行ったこともなかったし、

外国の方と接する機会もない。

 

当時の私は、

教科としての『英語』しか

知りませんでした。

 

教科書に従って、

文法を習い、単語を覚え、

英文を読んでは、問題に答える。

 

センター試験なんて、

傍線の何センテンス前に答えがあるとか、

答えを導き出すためのコツ・裏技のようなものを

学習することに必死でした。

 

 

 

 

 

今ほど、海外に行ってみたいと

思うようになるとは考えてもいなかったし、

当時から英語が喋れたら、

もっともっと世界が広がっていたかもしれません。

(まあ、今も喋れないんだけども)

 

18歳の私にとって、

英語は大学に入るための

ただの通り道でしかありませんでした。

 

 

 

 

 

そりゃあもう、

高校に入ってからの

英語に対する苦手意識もひどいものです。

 

電車で

「ココハニューチトセエアポートデスカ?」

と聞いている外国人旅行客に

それだけで恐怖心を抱いていましたから。

(そもそも日本語で聞いているのにね)

 

 

 

 

 

 

だけど、この時、

自分の中で何かが変わったのかもしれません。

 

これだけたくさんの外国の方が近くにいて、

自分は何もできない悔しさ。

外国の方と話してみたかったなーなんて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌年、

浪人した私は、

サクラホテル池袋にいました。

 

ここ

travel.rakuten.co.jp

 

 

 

受験できていたので、

泊まっていたのはシングルルーム。

だけど、サクラホテル池袋には、

幡ヶ谷と違って、

ドミトリールーム共同キッチンが存在したのです。

 

 

 

 

スーパーで買った惣菜を温めようと、

共同キッチンに行くと、

明らかに国の違う方々が、

テーブルを囲んで楽しそうに話をしています。

 

 

 

 

 

 

 

「チャンスだ

 

 

 

 

 

 

 

 

そう思った私は、

急いで部屋に戻りました。

心臓バックバクですよ。

 

『私は外国の方と話したい

 でも、英語に自信がない』

 

惣菜を掻き込みながら、

急いで電子辞書や翻訳サイトで調べ、

メモを片手に共同キッチンに戻りました。

(それだけの英文でさえ、

 調べないとわからないくらいのレベルだったのです)

 

共同キッチンに着くまでのエレベーターで、

何度も復唱しました。

 

 

……………エクスキューズミー!!!!!

 ア、ア、アイ ウォントゥー トーク ウィズ ピーポー

 フー カム フロム フォレイン カントリー

 

(こんな感じだったと思います)

 

 

伝わったのかどうか、定かではないけれど、

共同キッチンの方々は

「ここ座りなよ!!」

と、招き入れてくれました。

 

 

SAMSUNGの奨学生だという韓国の男性。

 

そして台湾の女性は、

その後メールアドレスを交換し、

しばらく英語でメールのやり取りをしていました。

今でもFacebookでは繋がっています。

 

全然会話には入れないんだけど、

外国の人と交流している!!!!!

その状況が嬉しくて仕方ありませんでした。

 

今思えば、そのときの行動力・勇気は

若さならではというか。

好奇心でいっぱいでした。

 

 

 

 

 

 

ちなみに試験の全日程が終わり、

あとは帰るだけという最終日は

1泊だけあえてドミトリーに泊まりました。

 

(たしか)同志社大学に留学しているという

オランダ人女性との出会いがあり、

大学の合格は得られなかったものの、

今でも忘れられない、大きな経験になっています。

 

 

 

 

 

こうやって振り返ると、

自分ってチャレンジ精神だけは

本当に旺盛なんだな

思い知らされます。

 

 

 

 

でも、

簡単になんでも踏み込めるわけではないんですよ。

めっちゃ勇気出してるんです。

 

 

 

緊張しいなんです。

 

 

だけど、

どうせ、

どんなことだって、

だいたいはやってよかったって思うんですよ。

 

簡単にできることは、

日常であって、

特別ではないじゃん。

 

頑張ったから記憶に残るんです。

 

 

 

 

 

そう思ったら、

私の高校生活、大学生活ってめっちゃ薄いんですよ。

仕事もそう。

たぶん、自分主導で動いてないから。

与えられたことをこなしていただけだから。

 

 

 

 

 

もう26歳なんです。

あと10日で27歳になるんです。

周りには結婚して、子供もいて、

家庭に落ち着いている人もいて、

そんな中で、

新しいことにチャレンジする今が、

どれだけ楽しいか。

(もしかしたら仕事をしていないから

 楽しいだけかもしれないけど)

 

 

 

 

 

あーだこーだと言いながら、

最終的には好きにしなさいと言ってくれる

親には感謝しなければいけないですね。

 

AD裏話!?<名古屋のゲストハウス>と<一人暮らしADの家選び>

 

先日ヒッチハイクで名古屋に行った際、

ゲストハウスに泊まった思い出を振り返ろうと思ったら、

8割<一人暮らしをするADの家選び>

そして、ADのリアルなお話になってしまいました。

 

これからADになろうとしている人には、

ぜひとも家選びの参考にしていただきたい。

 

 

 

 

 

 

 

さて、名古屋に一人で滞在している間、

私はゲストハウスに泊まっていました。

 

到着した月曜日から4泊です。

 

ヒッチハイクをし、

名古屋市内本山駅に降ろしてもらった後、

さて、今日はどこに泊まろうかと。

(そこまでは宿の手配などしていません)

 

 仕事を辞めてお金がないので、

なるべく安い宿を探します。

 

そして、泊まったのがここ!

【名古屋トラベラーズホステル】

〒460-0008 愛知県名古屋市中区栄4-8-10

travel.rakuten.co.jp

地下鉄 栄駅 から徒歩7分。

マンションを改装した感じのところで、

24時間使用可能な共有スペースがあったのが嬉しい!

 

私が泊まったのは

女性専用のドミトリールーム 1泊2500円

朝食として1階の共有スペースに

パンとコーヒーが用意されていました。

(眠たくて結局1回しか食べなかったけどね)

 

部屋はこんな感じ。

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1部屋にベッドが6〜7個。

二段ベッドのようになっていますが、

壁が作られているため、

カーテンを閉めてしまえば

周りはほとんど気になりません。

 

 

 

 

こういうドミトリーに宿泊すると、

同じ部屋になった外国の方と友達になれないかな〜

なんて考えていましたが、

そう上手くもいかず、

部屋に入ってきた人が、

日本人なのか、韓国や台湾から来た方なのか、

アジア系だと全然わからなかったのです。

お互いに会釈をする、

なんだかそっけない感じに...

 

 

 

 

 

もう7年以上前、

大学受験で東京に来た際は、

ホテルの共同キッチンで、私は自ら、

外国からの旅行客の輪に飛び込んでいました。

(懐かしくなったので、

 その話はまた別の記事で書きたいと思います)

 

 

 

 

 

と、まあ、

シャワーに入れて、寝れれば良い。

それだけです。

 

 

そしてそれは、

今住んでいる家もそうでした。

 

 

 

 

 

 

テレビの制作会社でADをやっていると、

寝れない帰れないが当たり前にあります。

それでも帰りたいベッドで寝たい

その結果、私は六本木から徒歩15分、

高級住宅地と言われ、

芸能人もたくさんいる?

麻布の女になったわけです。

 

 

 

そもそも東京の家賃は高くて、

私の家は5.5畳、トイレとお風呂は一緒、

テーブルを置くスペースもない1Rでした。

(そのうち写真入れます)

 

ベランダには屋根がなく、

雨が降れば洗濯物は終了。

 

仕事中に雨が降ってきては、

3週間ぶりにまわした洗濯物が〜〜〜〜

とよく嘆いたものです。

 

 

洗濯機をまわしては寝てしまい、

また洗濯機をまわす。

それを4回繰り返した後、

やっと干した洗濯物に雨が降られたときの

落ち込みといったら...

 

 

 

 

そんな家でも、家賃7万円

7万円出せば札幌じゃ中央区でも

LDKの物件が出て来ますよ。

学生の時に住んでいた西八王子のマンションは

駅激近(駅の自転車置き場の隣)

6畳 トイレとお風呂別の1Rで

4万8000円でした。

5万以下!

(札幌じゃそれでも高い?)

 

だけど、

麻布十番という場所に住んでいるということを考えると

7万円はとてもお安いのです!

 

 

 

 

おそらく同じ1Rでも正方形に近ければ、

もっとスペースを有効利用できたことでしょう。

私の家は横長で、

ベッドを置くとベッドと柱(靴箱)の間が

たったの30センチ!!

なんとも、使い勝手の悪いお部屋でした。

 

収納の扉も、エアコンにぶつかって途中までしか開きません。

 

ベッドしかないその部屋を男の同期に見せた時には、

「ヤり部屋じゃん!!」

と言われました。

いや、それはよくわからない。

(一応冷蔵庫もテレビもあるよ)

(洗濯機もベランダにはあるよ)

 

親ですら、私の家には来ません。

東京に遊びに来た時には、

ホテルを取ります。

 

人を呼べる家ではないので、

男はおろか、女友達だって呼べません。

 

この2年半、私の家に入ったのは、

私の他にたった一人でした

 

そして、私は麻布の女を卒業しようとしているわけですから、

前にも先にも、私の麻布の花園に入ったのは

たった一人で終了しようとしているのです。

 

ドン引きだったでしょうね

『これが人間の住む部屋か』

と心の中では思っていたかもしれません。

 

ちらっと私の家をのぞいた同期は

ドアを開けた目の前にベランダがあることに

「やべえ...」と呟いていました。

 

 

 

 

 

 

ただ、ADの中でも、

これは特に狭い方の家だったと思います。

みんなもっとちゃんとした家に住んでいました。

彼氏でもいたら、少し会社から遠くても

ちゃんとした部屋に住んでいたかもしれません。

 

 

それでも、

この家を選んだことは後悔していませんでした。

 

 

夜中2時でも、3時でも、、、、、5時でも、

いや、朝8時に帰る時だって普通にありました。

 

椅子を並べて寝る、あのADのイメージ、

あれは日常茶飯事です。

 

 

 

もちろんそのことを分かった上で、

この業界に入りました。

でも、抵抗したくなるものです。

 

 

汚いADにはなりたくない!

3時間あれば家に帰りたい!

化粧は身だしなみ!

おしゃれだってしたい!

とにかく寝たい!

 

そのうち「抵抗している場合じゃねえ!」と

デニムにTシャツなどの適当な格好、

ほぼ毎日、どすっぴんで

会社に通うようになりました。

(心の片隅にはこんなんじゃだめだ

 という気持ちはあったんです...)

 

JICAボランティアに応募するため、

証明写真を撮影しようと化粧をして会社に行くと、

「今日はどうしたんだ!?」

「デートですか!?」

この業界では、当たり前が当たり前ではありません。

化粧は身だしなみ???

 

 

 

だけど、

この業界以外の友人に会う時だけは、

化粧をして行くようにしていました。

汚い、だらしない業界で仕事しているとは

思われたくなかったから。

 

 

 

寝坊して、飛び起きた時には、

昨日脱いだ服を着てタクシーに飛び乗ります。

それを笑って話しているうちは、

「本当、お前はこの業界に向いているなあ」

と言われたものでした。

 

まあ元々、

すっぴんで六本木や麻布をふらつくような人間なのですが...

 

 

 

 

寝落ちしているADはたくさんいるし、

人数が多い時に写真を撮っては

それはもう地獄絵図……

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そういう現実を目の当たりにすると、

電車がなくなっても帰ることができる家の方が、

絶対的に良かったのです。

 

同期の中には、

途中で会社の近くに引っ越して来た人もいました。

 

 

 

 

 

ADをやる人、

これから家を探す人、

会社から近い方が、何かと便利ですよ〜

 

 

 

 

 

ただ、近いからこそ【悪いところ】もあります。

 

 

一つ目はタクシー。

これはもう業界病でしょうか。

就職するまでは、ほとんど

タクシーに乗ったことのなかった私が、

毎日のようにタクシーに乗りまくっていました。

タクシー出勤です。

 

自腹をきってでも、

『早く帰って寝たい。』

自腹をきってでも、

『たった15分、歩いて帰るのも面倒くさい。』

自腹をきってでも、

『もう少しだけ...ギリギリまで寝たい...』

自腹をきってでも、

『泊まり込みの仕事の途中でタクシーに飛び乗って、

 シャワーだけ浴びに一瞬家に帰りたい』

自腹をきってでも、

『仕事の移動で電車に乗るのも面倒くさい』

 

そんなことばかりしていたので、

タクシー代がどんどんかさんでいきました。

 

まあ、そんな利用の仕方でも

タクシー代が出るような会社だったら

話は違うんですけどね。

 

 

 

 

 

 

そして

二つ目は時間に制限がないこと。

 

 

 

電車がなくても家に帰れるということは、

何時までに絶対に

仕事を終わらせなければいけない

ということがないのです。

終わったら帰る、ただそれだけです。

 

「電車がなくなるので

 お先失礼します!」

そんなことは言ったことがありません。

 

 

 

 

そのうち、

飲み会さえも、

「あー最悪タクシーで帰るんで大丈夫です」

完全にタクシー癖がついていました。

 

 

 

 

一時期、ADを辞めると決めてから、

「22時になったら、

終わっていなくても絶対に帰る!」

と決めて仕事をしていたことがありました。

 

もちろんその日中にやらなければいけないことは

終わらせますが、

時間に制限をつけることで、

自分自身、気持ちが楽になったこともありました。

 

そんな働き方をしていたら、

もっとADを続けられたかもしれません。

 

 

 

 

とはいえ、それでも基本的に、

仕事に終わりはありません。

 

2年目、3年目と、

仕事を上手く回せるようになれば、

自分の時間もできるのではないか。

そう思いながらがむしゃらに働いた1年目。

 

できることが増えると、

やることが増えて、仕事が終わらなくなった2年目。

 

このままでいいのかと悩みながら代休を主張した3年目。

もともと、自分の効率も悪いんでしょうね。

 

 

 

 

さらに、

引っ越して来たときは24時間営業だったダイエーが、

深夜3時までの営業になり、

深夜3時過ぎ、営業終了したダイエーの前を通る時には、

ダイエーさえも私の帰りを待っていてくれないのか...」

と悲しくなったものです。

 

私の帰りを待っていてくれるのは、

24時間営業のコンビニだけでした。

 

 

 

 

 

 

なんて、

「ADって大変だね!」

と言って欲しいわけではなく、

こんな生活でも、

仕事にやりがいを見つけ、

楽しんでいる人がたくさんいるのです。

 

編集所で見かける他社のADさんでは

綺麗な格好をして、

きちんと化粧をしている人もいます。

 

そして私も、最初は

この生活を楽しんでいた一人でした。

 

寝れない、帰れない、

そんな状況をネタにして笑えるような人が、

この業界で生き残っていくのでしょう。

 

 

 

 

 

ADを経て、

ディレクターやプロデューサーとして働いている人、

生き生きとADとして働いている人、

そういう人たちは『やべえ奴』なんです。

すごい人たちなんです。

そう思うと、

正直働いている時には特に思っていなかった

上司、先輩の凄さを思い知らされました。

 

 

 

たった2年と数ヶ月、

それだけで知ったように言うのは恐れ多いけど、

 

 

 

 

 

テレビは

いろんな意味で

面白かったです

 

 

<東京→名古屋>女一人のヒッチハイク!④後編

東京名古屋ヒッチハイク 詳細の後編です。

 

前編では、3台の車に乗せていただき、

東京都用賀IC→海老名SA→御殿場IC→富士川SA

まで来ました。

 

 

 

 

<後編スタート!>

 

 

富士川SA、

今回のSAで私にとっては2つ目のSAです。

富士川に来てはじめて、

海老名SAの車がどれだけ多かったのか

ということに気づきました。

止まってくれる車はあるのだろうかという不安。

 

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                 (15:49)

ヒッチハイクをしている大学1年生に声をかけられ、

せっかくなので記念撮影。

やはり大学生の男の子が多いみたいです。

 

今振り返れば大学生活はまさに人生の夏休み、

もっと色んな世界を見て、

色んな経験をしておくべきだった

 

うちの会社は特にだろうけど、

社会人になると、長期で休むこともなかなかできません。

まだ間に合う!大学生はもっと海外に行くべき!

色んな世界を見た方が、自分の世界も広がるよ〜

 

 

【スケッチブック④:浜松方面】

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行き先は引き続き浜松方面です。

正直、大きいSAの名前が全然わからなからなかったので...

 

(15:50頃? 富士川ヒッチハイク再開!)

(16:00頃? 4台目の車に乗せていただく)

16:47 牧之原SAに到着

 

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乗せてくださったのは、静岡の袋井に帰るという男性。

たしか埼玉からの仕事帰りとか。

イベントなどのお仕事をされているそう。

イベント関係だと、テレビ取材が入ることもあるそうで、

これまでどんな芸能人が来たかなど教えてくれました。

 

 

次の大きめのSAは浜名湖だと聞き、

【スケッチブック⑤:浜名湖SA】

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17:01 ヒッチハイク再開

17:08 5台目の車に乗せていただく

17:33 遠州豊田に到着

 

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乗せてくださったのは、

木材を加工する機械の会社の社長さんでした。

今回唯一、ヒッチハイカーを

過去にも何度か乗せたことのあるお方。

中には、外国から来た女性もいたそうで

言葉が通じなくて、大変だったそうです。

 

その外国人女性一人のヒッチハイク

正直私は海外に行って

ヒッチハイクをする勇気はないです。

ああ、日本は平和!

 

ガンになってしまった奥様のお話、

私が浪人中にガンになった父と重なり、

なんだか感慨深かったです。

辛かった抗がん剤治療をやめ、

余命3カ月と宣告を受け、それから7年。

奇跡は起きるものなんですね。

いつまでもお元気で。

 

 

 

 

 

さあ、遠州豊田もそこまで車の量は多くありません。

時刻は17:35、少しずつ日が落ちて来ました。

暗くなってしまえば、

ヒッチハイクもしづらくなるでしょう。

一つでも先に進みたい。

そういう思いで、

 

【スケッチブック⑥:浜名湖SA(名古屋方面)】

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一応名古屋方面と付け加えてみました。

 

 

 

17:41 ヒッチハイク再開

 

 

(18:05頃 雨の気配...)

これはまずい。

 

勝負をかけて、

スケッチブックを【名古屋方面】に変更しました。

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すると・・・

18:10 6台目 名古屋行きの車に乗せていただく

 

名古屋行きに変更してたった5分...

静岡のビーチに遊びに行っていたという名古屋の女の子2人!

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たまたま、その日に出会った男性が、

ヒッチハイクをしたことがあったらしく、

ヒッチハイクしている人がいたら乗せてあげて」

という話をしていたのだそう。

そこに名古屋行きを掲げた私がいたものだから

ヒッチハイク!!!」「しかも名古屋!!!」

とノリで乗せてくれたそう。

なんて偶然。

 

写真をよく見ればわかる通り、

その後は、大雨....

本当にグッドタイミングでした。

そしてこんなに若い女の子たち(21歳)に

乗せてもらうことになるとは。

 

 

 

ということで、

名古屋市内、地下鉄東山線 本山という駅で降ろしてもらい、

<東京→名古屋>のヒッチハイクは終了しました!

 

 

 

 

女一人のヒッチハイク

いかがでしたでしょうか?

 

おそらく、

かなり順調なヒッチハイクだったと思います。

どの場所でも30分もかからずに

車に乗せていただきました。

 

大学生の頃、初めてヒッチハイクをした時は、

町田のIC付近で1時間以上、

いや、たしか2時間近くかかったと思います。

 

 

その時との違いは、

・車が止まりやすい場所か

・行き先が運転手さんの目につくか

・車1台1台にアピールができるか

そんなことを考えられるようになったことでしょうか...

 

ヒッチハイクをやり慣れている人には

当たり前のことかもしれません。

 

だけど、初めてスケッチブックを掲げる時は、

とんでもない不安と恥ずかしさがありました。

ヒッチハイクすると、絶対メンタル強くなるww

そして、普段出会わないような人と、

何気ないことでも話ができる、

いいチャンスだと思いますよ。

 

ちなみに乗せていただいたのは、

20台前半の女性・男性もいれば、

ご夫婦、仕事帰りの男性など様々でした。

 

 

とはいえ、今回のヒッチハイク

本当に、かなり順調に乗せていただけたのだと思います。

最悪「なんとかなるっしょ!」と思って、

野宿の準備はしていなかったです。

 

雨も降ってしまい、

というかもう、台風20号が近づいていたので、

無事その日中に着けてよかったよかった。

 

 

 

 

乗せていただいたお車の皆さま!

本当にありがとうございました!!!!!

 

 

ちなみに、その1週間後に、

<名古屋→大阪>ヒッチハイクもしましたので

また今度その話も書きたいと思います。

 

<東京→名古屋>女一人のヒッチハイク!③前編

 

女一人のヒッチハイク

具体的な話をします。

 

今回の出発地は【東京都世田谷区用賀】

 

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なんでも、

東京でヒッチハイクといえばここ!

と言われているそうなのです。

 

用賀のIC付近にはマクドナルドがあり、

その前でよくヒッチハイクをしているのだそう。

 

これがその【マクドナルド用賀インター店】

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最寄りの用賀駅から、歩いて10分程。

近い!

 

 

私もマクドナルドの前まで行って見ましたが、

実際にスケッチブックを掲げたのはここ(★印)

 

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マクドナルドの横には信号があり、

左に曲がると用賀インター。

★印の場所は目の前の道路、一番手前の車線に、

左に曲がりたい車が信号待ちをします。

 

信号に向かってスピードを落とすうえ、

スケッチブックに気づいて止まっていただくにも、

すぐ先にはスタバの駐車場への入口があります。

 

ICに向かって速度を上げて走って行く車を

マクドナルドの前で止めるより、

信号のある程度手前で立つ方が

スケッチブックを見てもらうにも、

車を止めるにも、

良いのではないかと私は思います。

(東京・ヒッチハイクで検索すると、

 スタバの前でヒッチハイクしたことを

 書いている人もいました)

 

 

 

 

ちなみに、遠くから来る車に、

ヒッチハイクをしている人がいることを知らせようと、

スケッチブックを高く掲げてアピール!

 

車が近づいて来たら行き先をきちんと見てもらえるように、

運転手さんに向けて笑顔で

「お願いします!」とアピールをするようにしていました。

 

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なんとなく、こんな感じ。

 

 

 

 

 

というわけで、

早速ヒッチハイク スタート!

 

 

 

 

まずは東名高速に乗りたい!

最初のスケッチブックの行き先はこちら

 

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【スケッチブック①:海老名】

 

せっかくなので

どれくらい時間がかかったかも

わかるところは書きたいと思います。

(きちんと記録をしておらずカッコに入っているのは

 写真を撮影してた時間やSNSに投稿した時間

 Googleマップのなどからざっくりの時間)

 

11:50 用賀IC付近でヒッチハイクスタート

(12:10頃? 1台目の車に乗せていただく)

12:56 海老名SA到着!

 

乗せてくださったのは千葉の幕張メッセで行われていた

サマーソニックに行かれていたという男性でした。

浜松まで帰るとのことでしたが、

何台かを乗り継いで行きたかったので

海老名SAで降ろしていただきました。

(詳しくは前の記事)

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車の中では、ライブの話(レキシを見に行ったそう)や

車の自動操縦システムの話などをしていました〜

 

 

 

 

海老名SAに着くと、

5組ほどヒッチハイクをしている男の子がいました。

(2人組が3組、1人でヒッチハイクをしている人が2人)

こうなると、どうやったら自分のところに止まってもらえるのか...

 

そこで、少しでも先に進めるよう、

とにかく刻むことにしました。

ざっくり〇〇方面ではなく、

地名やSAの具体的な名前を書くことに。

 

後から来たのに

他のヒッチハイクをしている人たちの近くに立つのは

申し訳ないと思い、誰もいなかった

本線に入る手前(パーキングの出口付近)に

立つことにしました。

 

大きなところでは、

ガソリンスタンドがあることが多いので、

そのガソリンスタンドの手前で、

パーキングから出て行こうとする車に

スケッチブックを掲げます。

他のヒッチハイクをしていた方々の多くは、

SAの建物の前に立っていたように思います。

 

 

【スケッチブック②:御殿場】

 

(13:10頃? ヒッチハイク再開)

(13:15頃? 2台目の車に乗せていただく)

14:06 御殿場IC近くのファミリーマート到着!

 

乗せてくださったのは、

茨城から富士山を見に行くという年の差ご夫婦。

最近秋田から転勤で関東に来たのだそう。

夏休みにご夫婦でドライブ。素敵。

 

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ちなみにこのご夫婦、

ちょうど御殿場で降りる予定だったとのことで、

ピンポイントで御殿場と書いたことにより

乗せてくださいました。

 

ご夫婦は秋田、私は北海道、

北国出身という共通点によりお互いにどれだけ

雪が積もるのかという話などをしていました。

 

さあ、問題発生です。

ここで私は御殿場で高速を降りてしまったのです。

また高速に乗る車を探さなければいけない...

方向音痴だし、地名も土地勘も全然ない。

何がSAで何がICなのかもわかっていませんでした。

おそらくここで書くべきは御殿場ではなく【足柄SA】

だったと思います。

 

ありがたいことに、乗せてくださったご夫婦が

御殿場ICの入り口付近まで送ってくださったので、

御殿場ICから高速に乗る車を探します。

 

 

 

しかし御殿場IC入り口付近、車のスピードが速い。

止まってもらえそうなところを探しました。

 

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ここなら左折する車の多くは高速に乗るはず。

そう思ってヒッチハイクを再開。

 

とりあえず、高速に乗れれば...

そう願いを込めて、今回はざっくり。

【スケッチブック③:浜松方面】

 

14:18 ヒッチハイク再開

(14:40頃? 3台目に乗せていただく)

15:34 富士川PA到着

 

乗せてくださったのは24歳の男性。

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沼津まで映画を見に行こうと思っていたのだそう。

浜松方面の車に乗せていただいたとはいえ、

実は高速には乗らなかったのです。

にもかかわらず、車中で話しているうちに、

「高速乗りましょうか?」と。

ありがたい。

本当、なんとお礼をしたらよいか...

 

その日はコードブルーを見ようかと思っていたそうですが、

前日には最近話題の『カメラを止めるな!』を見に行ったそうで。

ちょうど私も最近見たばかりでした。

「会社の新人であるネパールの方が、

 新人賞を取りにいくために

 俺もできる限りサポートする」という話、

後輩思いで素敵でした。

 

 

 

 

ここまでで3台。

用賀(東京都世田谷区)から

富士川静岡県富士市)まで来ました。

 

 

 


後半は次の記事で!